「物々交換からお金が生まれた」神話

経済やお金に、振り回されている感じしない?

なんとなく、経済とかお金について分かっているつもりだけど、「経済」って何?「お金」ってなに?って聞かれると、あまりよく理解できていないかもって思ったりしない?

ギフトエコノミーやコスタリカのジャングル生活を通して、僕はいかに「お金」や「金融経済」がただの概念に過ぎないことに気づいた。

経済もお金もストーリー(神話)

人や資源を支配(エンクロージャー/囲い込む、搾取)するためのお話と仕組み。通貨のデジタル化やマイナンバーカードも、結局より円滑に政府や企業がみんなのデータを管理して、操りやすくするための仕組み。

その中で、今日改めて扱いたいのが、お金の神話の要の一つ、「物物交換が不便だったから、お金が普及した論(嘘)。

それをまとめた記事を最近見たから、それをシェアするね(これについては、僕の言葉で何度か語っているから)。

その前に、重要なポイントを改めて伝えたい

  1. 人類の歴史の中で、一番長く続いている経済がギフトエコノミー/ギフトエコロジー
  2. 「交換」するために必要な概念は、「所有」
  3. 「所有」に必要な概念は、セパレーション/分離(自然と人間の分離、人と人の間の分離)
  4. 物々交換もお金も、交換と所有をするための仕組み。分離している「個」であることが世界観の土台にある。
  5. みんなが使っている「お金」のほとんどは、権力や富裕層が作って管理しているもの。権力がある人が裕福になる仕組みになっている。(地域通過とかは違う)

→ これらについてより詳しく読みたい人は、ソーヤー海の経済学をcheck it out!

以下、東洋経済より(全文は左のリンクで)

「お金の起源は物々交換」信じる人が知らぬ大欠陥

もっともらしい説だが「歴史的事実はない」

この「物々交換」がおカネの起源だという説は、長い間、まことしやかに語られてきて、今も多くの人に信じられています。何だかもっともらしい話ですね。

しかし、この説には重大な欠陥があります。証拠が何一つ見つかっていないのです。そのため、歴史学者や人類学者、考古学者や古銭学者も、「そんな歴史的事実はない」と否定してきました。

デヴィッド・グレーバー(1961~2020)というアメリカの人類学者は、次のように言っています。

数世紀にもわたって研究者たちは、この物々交換のおとぎの国を発見しようと努力してきたが、だれひとりとして成功しなかった。

(『負債論』酒井隆史監訳、高祖岩三郎・佐々木夏子訳、以文社、2016)

しかし経済学者たちは、「いや、これでなくちゃおカネの起源は説明できないから」と、彼らの意見を無視してきたのです。

「おカネの起源=物々交換説」はところどころヘン

経済学者たちが信じてきたおカネの起源説には、もう1つ弱点があります。この起源説の中では、おカネ(金属片)は人びとの間をぐるぐる回っているだけで、人はおカネそのものを欲しがっていません。何かモノが欲しいから、おカネを便利に使っているだけ。仮にAさんとBさんがお互いに相手の欲しいモノを持っていたとすれば、おカネは必要ないのです。

しかし、現実世界においては、誰もがおカネそのものを欲しがり、おカネそのものを目的としているようです。なので、現実に人びとが欲するおカネと、この起源説のおカネとの間にはギャップがありすぎます。おカネの性格が、現実と矛盾しているのです。今、経済学界で一般に信じられている「おカネの起源=物々交換説」は、ところどころヘンなのです。

この「人はおカネそのものを欲しがる」というおカネの性格について、『資本論』で有名なカール・マルクス(1818~83)が興味深いことを言っています。

続きは、東洋経済

経済の神話を理解して、自由になろう!

もっと現実的で豊かな経済を創造していこう

パーマカルチャーツアーやってるよ。