「人は争いを好まない。。。親しい間柄を好む」【やさしい社会】より

人間が対立することは、果たして「自然」(当たり前)なのか?

今までは、そんな前提を問うことなく信じていたけど、AS ONE コミュニティのSIENZセミナーに参加して(それについての記事はここ)いろんな物事を「ゼロから探究」してみたら、確信がもてなくなった。いつから、そんなことを信じるようになったのかも覚えてない。

じゃ、僕たちはなぜ大切な人たち(家族、パートナー、仲間など)と対立や心地悪いやり取りをするのか?その状況の根源はなんなのか?

そんなことをSIENZセミナー中に読んだ「やさしい社会」から考えはじめた。

一緒に探究してみない?

以下は、「やさしい社会」より

人は環境や体験などによって、誰とでも親しい関係になれるということを繰り返し強調したいのです。
 親しい人間関係があると安心できる人間関係があるということ、これが人間にとってとても重大な要素だと思うのです。それは即ち、社会の重大要素でもあると思うからです。

知らない人と仲が悪いとか、知らない人と対立している、なんてことはあり得ません。

60億以上もの知らないほとんどの人とは、仲が悪くないし、対立もしないのに、知っている極わずかな人の中に、仲が悪い人がいたり、対立する人がいるということが、とても不思議で奇異に感じるのです。

果たして、相手が悪いこと・嫌なことをしたとか、主張が食い違ったなどで、人と人は悪くなったり、対立したりするものなのでしょうか。
 事と次第によっては、人と人が、仲が悪くなってしまう、対立してしまう。これを肯定したり当然だとしていては、決して世界から戦争は無くならないと思います。
人と人が仲悪くなったり、対立するのは、なぜでしょう。
 遠くの知らない人とは、そんな関係にならないのに、近くの極わずかな、知っている人との間柄で、仲悪くなったり、対立するのは、とても変ですね。
 そうは思いませんか。

5安心・安定を望んでいても(ここだけ全文)

 人は、親しい人間関係、安心できる人間関係を望むと思いますが、事と次第により、時と場合により、仲が悪くなったり、対立したりなど、望んでいる事とは逆の状態になることがあります。
 親しい間柄でも、何かことがあって、仲が悪くなったり、対立したりしても、それを仕方がないと諦めたり、自分に言い聞かせたり、気持ちを持ち直したり、あるいは理由をつけて納得したり、相手のせいにして自分を正当化して納めたりすることもあるでしょう。
 事柄や状況や人の行為は刻々と変化しますが、だからといって、人と人との間柄が、仲悪くなったり、対立したりするのではなく、どんな事態になっても、親しく安心できる間柄ではいられないのでしょうか。
 そんなことは無理だと諦めているからか、何かで仲が悪くなったりすることを怖れて、本当は親しい人間関係を望んでいるのに、自分と人との間に距離をおいたり、ほどほどの親しさに済ませている人もいるでしょう。
 いずれの場合も、一見、親しく仲良くしているようでも、仲が悪くなったり対立したりする「種」を孕んでいるようなものでしょう。それは、不安定な親しさ、不安定な安心だと思うのです。心の底から本当に安心できる人間関係ではないと思うのです。
 心の底から親しい人間関係、本当に安心できる人間関係というものが、人間には最も大切だと思っています。しかし、今の社会ではそれほど重要視されていないようです。
 その背景には、そこまでの人間関係は無理だと諦めて、そういうものを求めなくっているようにも思います。
 しかし、ここまで述べたように、それを重要視しなければ、人間関係の不安定さというのは否めないと思います。人間関係の不安定さは、組織や団体の不安定さでもあり、社会の不安定さでもあり、世界の不安定さでもあると思います。
 それらから来る、自分自身の心の不安定さも免れないでしょう。
 努力や修行を積んでも、自分だけで本当に安定・安心することはできないでしょう。一人で生きているのではないのですから。
 幼い子供の例だと実感できるでしょうか。最も親しく安心できる存在である母親が、人と仲が悪かったり、対立したり、今は表面化していなくても、そういうものをはらんでいるとしたら、母親でなく、子供の心の状態にも、何かしら安心できない人間関係の「種」がつくまとうでしょう。
 また、争いのない平和な世の中を実現しよう、人々の幸福を実現しようとの志を抱く政治家同士が、仲悪くなったり、対立したりを繰り返しています。これでは、いかに高い志や優秀な能力の人たちであっても、安定した快適な社会にならないのは当然だと思います。
 これらは、人と人との友好・親和を望んでいると言いながらも、本当に安心できる揺るぎない親しさ・安心状態を求めていないからではないでしょうか?
 いつ破綻するか分からないような、一時的な親しさや安心感に甘んじているのが実状ではないでしょうか。

 どんなことがあっても、仲が悪くならない、対立しない、心から親しく安心できる「家族のような」組織や団体、地域社会、国、世界・・・というものを思い描いてみることができるでしょうか。
 現場からは考えにくいかもしれませんが、人と人の間に決して争いが起きないということは、そんなにこう高尚なことでもなく、難しいことでもなく、誰もが好む、当たり前の人と人との親しい心地よい関係だと思うのです。
 人は争いを好まない。人は親しい間柄を好むのだと思うのです。

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