僕はかなりディープな鬱病に3回くらいなってきた(自慢ではない)。「ディープな鬱病」というと、この場合は
・一年以上続く(長くて4年とか)
・死にそうになる(これもとても興味深い感覚)
・対人関係が極めて大変(でも、僕は人が好きなので、社交的に振る舞い続ける)
・乖離する/目の前の現実から離脱する
家族4人のうち、3人は鬱病を持っている。鬱病じゃない人は、楽観主義者で基本的にハッピーななんだけど(それは素敵なこと)、鬱病の理解ができずにお互い困っている。
楽観主義者:ハッピーなこと考えて、ハッピーに生きたら良いじゃん。
鬱病の革命家:できねーから鬱なんだよ!
(二言シアターでした)
ま、前置きはここまでにして、今日はっきりと自分がまた鬱病になった自覚ができた。
また、鬱病?!!!
ここ数日?数週間?調子がイマイチだったのは気づいていたんだけど、出産直後で生活リズムも狂ったり、大きな変化だから調整中なのかと思ったら、鬱の分かりやすい症状がどっさり現れてきた。
そこで、僕の研究と平和活動の重要なテーマの一つが、MENTAL HEALTH 精神的健やかさなので(大学の専攻は心理学)、鬱病の内側からどんな感じなのかを捉えようとしてみている。
世界中に鬱病は蔓延しているというレポートや研究を度々読んできて、僕の周りには鬱病の人がたくさん(むしろマジョリティ?)いて、家族や知人に鬱病の人がいるという人もたくさんいる。
みんなはどう?
身の回りに鬱病で悩んでいる人知らない?
人によって、状況によって、個人的なやつから集合的な鬱病(戦時中、不況中、パンデミック中)、鬱病もいろんなバリエーションがあって、一概には言えないけど、僕の実体験をシェアすることによって、より精神病や鬱病への関心、理解、リテラシーが世の中に増すことに貢献したい。
MENTAL ECOLOGY 心の生態系
鬱病を体験している人はもちろん大変だけど、その周りの人もかなり大変になる(介護に関わってなくっても)。僕は、子供の自分にとって親の鬱病がどれだけ大変だったかを、最近わかってきた。鬱病の子やパートナーを持つ知り合いの話を聞いてても、彼らが相当疲弊していて、ときには鬱病になっているのを目の当たりにしている。そういう人にも、なんらか参考になると思って、この記事を書くことにした。
鬱病は個人や一家族の問題ではなく、社会現象。そして、子育てと同じように、コミュニティとして取り組むことが、もっとも健全な未来への手段だと信じている。
因みに僕ごく助かると感じてきたのは
→ 鬱病を(ある程度)理解して、やさしく接してくれる人
→ 共感 エンパシー
→ 明らかに見返りがない、優しい行為
→ 優しく触れてもらう
→ 何も求めず、期待せず、共にいてくれるプレゼンス/存在
→ よりどころ/居場所を提供してくれる人
→ 健康的な生活の改善を積極的に(でもプレッシャーかけずに)誘う行為
→ 自分のケアができて(安定している)、忍耐強く待つ人
【今日の鬱病レポート】
今回、鬱病になった要因の仮説は
→ 産後うつ説(男性もなるらしい)
→ 家事とベビーやマミーケアに専念していて、外界との接点が足りていないかも説
→ 持病で鬱病になりやすい説
→ 幼少期のトラウマ説
→ 家族との会話でかなり食らうことを2回短期間で言われた事件説
→ 5月病?(仕事も学校にも行ってないけど)説
→ 気候危機説
→ コロナによる社会の激変説
鬱病ってどんな感じなのか【鬱病実況中継】
*かなりニュアンスがあって、矛盾に聞こえるものもたくさんある。心の状態も一瞬一瞬変わったりもするし、ものすごく機能的にも振る舞える。
「正常」な脳の状態の人から理解するのは、難しいみたい。
すごく暗い惨めな感じから、次の瞬間笑って社交的に人と交流して、一瞬にしてまた消えたくなったりする。なので、「鬱病はこうなんだ」というより「ソーヤー海の鬱病はこういう感じのこともある」というふうに受け止めてもらえたら。
ニュアンスが大事
基本的な心の状態は、脱力感、恐れ、恥、罪悪感、虚無感、重い、困惑、混乱、孤独、自信がない、不安定
生きているのが辛いって感じることが多くなる
でも、楽しいことも、嬉しいこともある
数時間、数日間、安定して「正常」な状態に戻ることもある
いなくなりたい、消えたい
鬱って認められなかったり、人に伝えられなかったり。鬱病は悪いもので、他の人に迷惑だったり、困らせちゃうから隠すべきって思うことがある。鬱病って思われたら、怖いことが起きたり、より大変になったり、分かってもらえないって恐れてしまう。
やる気が出ない、モチベーションが湧きにくい
生き生きさが感じられない、感覚の麻痺、喜びが感じにくい
何してるか忘れたり、わからなくなる
何かのタスク途中にフリーズして、変な体制でずっと遠くをぼーって眺めてしまう
言動が遅くなる
他の人がいると隠れたくなる(実際、隠れたりもする)
人と会うことを想像すると感じるのは、不安、恐れ、ストレス
知り合いが複数いる集まりが怖くなる
人が信頼しずらくなる
相手の顔を伺って、悪い方向に物事を捉えて反応的になる
批判/ジャッジの言葉やエネルギーにすごく敏感になる
辛い体験の刺激になった人と、接するのがものすごく重い
メールが開けられなくなる(開けると嫌な刺激が潜んでいることが怖いと感じて)
スマホの画面(インターネット)に逃げたくなる
自分の存在が申し訳ないと感じる
いきなり悲しさに囚われて泣きたくなる(僕は残念ながら中学生ごろから泣けなくなった)
なんでもいいや!ってなったり、ねばならぬに押し潰されたり
思考能力の低下(情報整理、ロジカル思考、記憶力、状況の理解、会話力とか)。でも、集中して仕事が捗ることもある。このブログを書いているみたいに。
*集中して仕事をやっていると、周りは鬱病だって気付きにくい状況になってしまう
目の前の会話とかから気が散りやすくなったり、何かにすっごく集中したり、嫌な思考に囚われたり
***ディープな鬱病だった時(今回はまだここまでいってない)***
言い訳だって言われたり、批判されたりして、ものすごく混乱してショック状態に入る
できないアドバイス(これしたらいいよ)を言われて、さらにプレッシャーを感じて、自分のできなささに絶望する
「攻撃されている」と感じると、乖離する。消えたいって頭の中で唱え続ける。
自分の死について考える頻度が増える
死への抵抗が減る ← 「生きるのが大変だから死んだ方が楽」って感じる時もあれば、「死ぬことの何が悪いのだろうか?」ってちょっと悟りの感覚?もあったりする。
研究は続く