Deschooling Society 現代社会の抑圧から自分たちを解放するための教育

僕の教育活動の最先端は

1。子供の「学校」。。。厳密にいうと教育/居場所/socialization(社会化)。

我が子の教育

娘が来年から小学生になるから、娘の教育/社会化について色々考えたり、悩んだりしている。

彼女が健やかに育つことはもちろん、健やかな社会づくりの一因になることも僕にとって重要。とくに関心があるのが「抑圧の再生産」をしない子育てや教育。

戦争、環境破壊、暴力、トラウマが、何世代も続いてしまっているのは、僕たちが次の世代に知らずと、それらの種を次の世代に植え付けてしまっていることについての記事 Parenting without obedience by Miki and Arnina Kashtan に、考えさせられている。

僕の先生の一人、禅僧のティクナットハンもそのような話をしていた。

気候危機と生態系の崩壊

ほとんどの教育が、人類が直面している危機に向き合えてない感じがしてたまらない。

現実逃避なのか、常態化なのか、不思議な感じ。

不思議なのが、いまだに「人間」と「自然」を分けている教育と社会。僕たちは、自然でなければ「不自然」な存在ということ?何それ?

自然を破壊すれば、自然の一部である自分達人間も破壊されていく。それが、気候危機、公害、プラスチック汚染、永遠の化学物質汚染、放射性物質による被曝。

そして、regenerate(再生)すれば、僕たちの健やかさも再生されていく。そういう教育に人生をかけたい。

ECOVERSITY

それと、エコバーシティ運動の創始者(たぶん)のManish Jain(仲間の辻信一やヘレナノーバーグホッジの友達)の思想や取り組み(叡智をテーマとした自由大学 Swaraj University、街全体を学びの場 Udaipur Learning City、刑務所大学 Swaraj Jail Universityとか)に、かなり揺さぶられている。

challenged and inspired

彼と会うたびに、自分が持っている変な前提や習慣、囚われに光を照らしてくれる。

彼の”unschooling”で育った娘(自己紹介で Hello, I’m an unschoolerって言ってたのが印象的だった)の話もインスピレーションになっている。Unschoolingをインドで広めているハーバード卒のエリート界から離脱した父親 Manishと、積極的に学校に行ったことがない娘。

SATISH KUMAR

僕の大先生であり、友達の平和活動家サティシュ・クマールが、日本で質疑応答(悩み相談)をしていた時に、ある母親が子供の学校について悩みを相談したときに、サティシュがこう答えた

「子供に学校に行かせるのはやめた方がいい。学校が必要ならば、僕のように学校を作ることをおすすめするよ。」(僕の記憶上)

彼は、Small Schoolという子供の学校を立ち上げてから、Schumacher Collegeというホリスティックな大人専門の学校(大学院大学でもある)を創設した

参考:サティシュの学校 — みんな、特別なアーティスト

という訳で、いすみ市(願わくばDOJO)で子供の「学校」を始めたいので、一緒に関わってくれる仲間を探し中。

意気投合する仲間がいれば、できそうな気がする。

2。エコバーシティ運動とIsumi Ecoversity 作り

エコバーシティについての記事はここ

改めて、教育について色々考えて、とにかく常識にとらわれないように、「非常識」と接するように努めている。

常識は、自分の中からも、外(外圧)からも僕たちを1ヶ所に留めてしまうから。戦争、環境破壊(気候危機とかも)、搾取、暴力とかを維持しているのは、「常識」/世界観や思考パターンと思わない?

人類の歴史の研究を読むと、平和な時代もあったようだし、週二日くらい「働」けば(狩猟採取)暮らせた時代もあったようだし、自然が栄えていた長い歴史もあったらしい(実際、何が本当かは、僕にはわからない)。

じゃ、僕たちはなんでそれができないの?

努力の問題じゃないと思う。

みんなめっちゃ頑張っているように見えるから。

頑張る必要性、頑張る圧力が問題の一つなのかもしれない。

症状か?

ま、とにかく、目指す世界、どう生きたいか、どう死にたいか、何を信じたいか、信じていることをどう生きるか、在り方、実践、統合、再生、教育、学ぶこと、経済、問題、社会変革。。。。などについてよく考えている。

エコバーシティ運動の影響も大きい

とくに、去年行われた初アジア・エコバーシティ・ギャザリングと、その流れでより深くつながったGaia Ashram, Pun Pun Ecovillage、カレン族のスェーとオシィ。

上でも出てきたエコバーシティの創始者Manish Jainが、運動の歴史や現場についてシェアリングをしていたときに、イリイチのDeschooling Society 「脱学校の社会」の本の話が出てきた。

ずっと気になっていたんだけど、本を読むのがすごく苦手で(じゃ、なんで本作ってんだよ!)、ずっと動きがなかったんだけど、この後押しでやっと読み始めた。

3ページも!!!

そこで、いきなり響く文章があったから、みんなのシェアしたかった。

Deschooling Society 脱学校の社会

The pupil is thereby “schooled” to confuse teaching with learning, grade advancement with education, a diploma with competence, and fluency with the ability to say something new. His imagination is “schooled” to accept service in place of value. Medical treatment is mistaken for health care, social work for the improvement of community life, police protection for safety, military poise for national security, the rat race for productive work. Health, learning, dignity, independence, and creative endeavor are defined as little more then the performance of the institutions which claim to serve these ends, and their improvement is made to depend on allocating more resources to the management of hospitals, schools, and other agencies in question.

* Deschooling Society, Ivan Illich 1970

以下、役はDeepLより

「その結果、生徒は、教えることと学ぶこと、成績を上げることと教育、卒業証書と能力、流暢さと新しいことを言う能力を混同するように「学校化」される。彼の想像力は、価値の代わりにサービスを受け入れるように「教育」されている。医療はヘルスケア、ソーシャルワークはコミュニティライフの向上、警察の保護は安全、軍隊の態勢は国家の安全保障、ラットレースは生産的な仕事と勘違いしている。健康、学習、尊厳、自立、創造的な努力は、これらの目的を果たすと主張する機関のパフォーマンスに過ぎないと定義され、その改善は、病院、学校、その他の問題のある機関の管理に多くの資源を割り当てることに依存しているとされる。」

ヤーマン

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英語版の裏表紙の文章

Schools have failed our individual needs, supporting false and misleading notions of ‘progress’ and development fostered by the belief that ever-increasing production, consumption and profit are proper yardsticks for measuring the quality of human life. Our universities have become recruiting centers for the personnel of the consumer society, certifying citizens for service, while at the same time disposing of those judged unfit for the competitive rat race. In this bold and provocative book, Illich suggest some radical and exciting reforms for the education system.

The measures suggested in Deschooling Society, he argues, are necessary to turn civilisation from its headlong rush toward the violence that frustrated expectations will certainly unleash so long as the school myth is allowed to persist.

学校は、私たち一人ひとりのニーズを満たすことができず、増え続ける生産、消費、利益こそが人間の生活の質を測る適切な基準であるという信念によって育まれた「進歩」と「発展」という誤った誤解を招く概念を支持してきた。私たちの大学は、消費社会の人材のリクルートセンターとなり、市民を奉仕者として認定する一方で、競争的なラットレースに適さないと判断された者は処分されるようになった。この大胆で挑発的な本で、イリイチは教育システムに対する革新的で刺激的な改革を提案する。

イリイチは、『脱学校化社会』の中で提案している施策は、学校神話が存続する限り、挫折した期待が確実に放つ暴力に向かう文明を、真っ逆さまにするために必要だと主張している。

パーマカルチャーツアーやってるよ。