【GREENZの記事】これは正解でも正義でも、二項対立でもない。NVCの観点で「ソーシャルジャスティス」を考え、みんなが大事にされる社会をデザインしよう。

写真は社会変革仲間達。中心にいるのはアクティビスト大先輩のジョアンナ・メーシー

左から、齊藤由香(ジョアンナの本を翻訳したり、ワークを日本で広めている共生革命仲間)、安納けんと鈴木重子(NVCと社会変革の仲間)、ジョアンナ、僕、赤い服の人は誰だっけ?、灰色の服はキット・ミラー(NVCの先生で、ガンジー非暴力研究所の所長)

最近は、NVC(非暴力コミュニケーション)とsocial justice(ソーシャルジャスティス)の深い探究を安納けんと鈴木重子と取り組んでいる。個人の癒し(トラウマとか)や変容と構造的な暴力への働きかけや内在化した抑圧からの解放など、複数のレイヤーから抑圧、暴力、平和、共生などを研究している。

そこで、日本ではあまり聞かないソーシャルジャスティスについて、僕たちの捉え方を記事にしてみたかった。一般的な「正義」とか「善」とは違う、二元論ではないパラダイムを育もうとしている。

全ての命(自分を含め)を大切にしようと尽くす、誰も「悪者」にしない、愛の道。しっかりと苦しみと向き合いながら、そこに身を置いて、ともに共生の文化を育てる大冒険。

ぜひ読んで欲しい!!!

平和な社会、命を大切にする文化を実現するために、とても大切な世界観だと思う。より深い対話と探究のための刺激として、今後使っていけたら。

Check it out!


GREENZ.JP 『共生革命家日記

ハロー、ソーヤー海だよ! 

今日は「ソーシャルジャスティス」について一緒に考えたいと思う。そのまま訳すと「社会正義」になるけど、これがどういう概念で、なぜ大事なのか、僕が取り組んでいるNVC(非暴力コミュニケーション)の観点で紹介していくね。

今回は特別企画で、僕と一緒にNVCを探求している安納献さん鈴木重子さんにも登場してもらうよ(聞き手はこの連載の編集担当の岡澤浩太郎さん)。

沖縄の米軍基地ゲート前(平和行動後の写真)

「vs悪」ではなく、すべての命が平等に大切にされること

―― 初めに単刀直入に聞きます、ソーシャルジャスティスって何なんでしょう?

安納献(以下、献) 実は僕たち3人がソーシャルジャスティスのことを考えだしたのは最近で。僕たちの先生はこう定義しているんですが……。

社会正義とは、誰もが平等な経済的、政治的、社会的権利と機会に値するという見解である。社会福祉士は、すべての人、特に最も必要としている人のために、アクセスと機会の扉を開くことを目指しています。(全米ソーシャルワーカー協会)

社会正義とは、すべての人に平等な権利、機会、待遇を与えることを意味します。(サンディエゴ財団)

鈴木重子(以下、重子) ただ、「この定義が正しい」と言ってしまうと、それが権威になってしまうから、それぞれの人たちにとってのソーシャルジャスティスの形があり、それが尊重されることが大切だと思います。私個人の定義では「すべての命が大切にされる世界を目指して活動すること」。NVCを志している私たちは特に非暴力に重きを置いて捉えています。

ソーシャルジャスティスはいつの時代にもどこの国にもずっとあるものです。日本では女性参政権獲得運動や、子どもの教育のための権利を勝ち取る運動、賃金改正運動、在日の方への差別を撤廃する運動、最近の例だとトランスジェンダーの人たちの運動……これらはすべてソーシャルジャスティスの活動です。

アメリカのブラックライブスマター(BLM)デモ

―― 社会にあるいろいろな問題は自分とは無縁ではないし、できることなら何かしたいという思いは私にもあります。だけど一方で、それよりも先に、自分や家族や周りの人たちがより幸せに生きることを目指したい。それに、もし本当にコミットするなら、頭で考えるのではなく、私財をなげうって身を投じて行動しないと説得力がない気もしています。

ソーヤー海(以下、海) 自分ができる範囲で自分の意識の変容を促し、身近な人とできることをやるのはすごく大事。でも、それだけじゃ世の中は平和にならないという気が僕はしていて。僕たちには多大な影響力を持つ社会の構造も同時に変えていく必要がある。

キリスト教会が企画した米軍基地前の平和的抗議運動「県民クリスマス」

身近なことと、大きなこと
小さな積み重ねが社会を変える

 ニューヨーク州ロチェスターにある「ガンジー非暴力研究所」の所長のキット・ミラーさんが言うには、社会変革に対して①戦略的に使う非暴力と、②原理や原則として使う非暴力の、2種類があるそうです。

①は革命を起こす、独裁政権を倒す、など手段として非暴力を使うこと。②は自分の内側で非暴力の精神を身につけた上で社会変革活動に携わること。それで、何らかの革命(社会構造やパラダイムの変革)が成功した後、①と②のどちらがその効果が長く続くかを研究したところ、②だったそうです。

その話からすると、社会に対して働きかける(①)前に、自分や周りを整えること(②)にも意味があるし、結局、①も②も別の話ではない。それに、例えば身近な人の幸せを考えるといっても、自分の子どもや孫の世代のことまで考えると、「世界中の人たちが幸せであるかどうか」や「社会の安定」にもすごく関連しているはずです。

―― ただ、社会に対して何かをしようとしても、自分に何ができるだろうか、と考えてしまいます。

 「問題が大きすぎる」とか、「やるんだったら本気でやらないと」とか、「私に何ができるの?」とか「どうせ変わらない」とかは、日本にいる多くの人たちの声の代弁だと思う。

だけど、みんなひとりひとりにものすごいパワーがあることを思い出してほしい。社会を形成しているのは僕たちだから。自分のパワーを小さな集合体にするだけで、ものすごく大きな変革を社会にもたらすことができる。僕たちの歴史はそうやってできているから。

石炭火力発電への投資に抗議するピカチュウデモ

 ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェスさんの研究によると、ある運動に参加する人口が社会全体のたった3.5%に達しただけで、社会が確実に変わる。

重子 そう、例えばアメリカから始まったBlack Lives Matterはかなり大きな運動になっているけど、それはある日突然始まったわけじゃなくて、1960年代の公民権運動の辺りから何万人、何百万人もの人たちが、本当に小さい努力を何重にも何重にも積み重なって生まれた総体だと思うんです。

*Black Lives MatterについてはここをクリックNHK Black Lives Matterが意味するもの)

「私の黒人の友達の命も大事だよ」と訴える白人

重子 社会にある問題はものすごく大きいし、だから自分のやれることがすごく小さいのは当たり前。だけど、何かをやることには必ず意味があると、私は思ってます。

 無力感を感じることは僕たちにもあって、僕たち3人が合宿するときは、たいていは「絶望とどう向き合うか」というワークを含めるんです。「絶望は異常な状況に対する自然な反応」と言っている人もいます。それに絶望の奥には「絶望したくなるくらい何かを大切にしたがっている」という思いがあることが大事で。その大切な何かとつながったときに、ものすごく肯定的なエネルギーに替わると思うんです。

つづきはGreenz.jpで!

*4人の会話を録音したから、今週中にここに付け足す予定。

パーマカルチャーツアーやってるよ。