時差ぼけが抜けない。。。
この前、GreenzにNew Economicsがテーマの記事があった。ベースになっているのは「スモール イズ ビューティフル —人間中心の経済学」を書いたE.F. シューマッハの思想みたい。読んだことがない人は、ぜひ読んでみて欲しい。
記事の後半は南米チリの経済学者マックス・ニーフの話があって、それもとても面白い。
マックス・ニーフは、貧困の定義を豊かにした。そして、発展の対象は人間であって、モノではないことを前提条件にし、人間の根元的ニーズを満たすことを目指す経済発展のあり方「Human Scale Development」を提唱し、実践を続けてきた。
本当の意味の貧困とは、 人間の基本的ニーズが長期的に満たされないこと、と定義し、その基本的ニーズは9つあるとマックス・ニーフは言う。
「愛情」、「生存」、「保護」、「理解」、「参加」、「怠惰」、「創造」、「アイデンティティ」そして「自由」の9つ。
従来の意味での経済的観点のみから見た貧困ではなく、ニーズという人間の内的な視点からみた多面的な貧困のあり方を提起している。この9つのニーズの中のどれか一つでも長期的に欠けていたら、お金に恵まれていたとしても、それは貧困である、という考え方だ。そして、人間の基本的ニーズは世界中すべての地域で普遍的に同じであるとした。
(省略)
マーケットニーズに応え人々の経済財への消費及び所有欲求(Wants)だけを埋めていっても、本当の意味での貧困の解決やその先の幸せには至らない。そうではなく、人間の基本的ニーズを満たすのが本来の経済の役割なのだと、マックス・ニーフは語りかけている。
非暴力コミュニケーションの「ニーズ」という概念に似ていて、僕もニーズベースで経済を考えるようにしている。一般的にはお金やモノを経済だと考えがちだけど、ニーズを満たすことが人の目的であって原動力であると僕は思っている。人間が創造した経済や政治も、ニーズを満たすための手段(目的ではなく)。今の経済や政治が多くの人のニーズを満たせてないのは(僕の目からは)明らかだ。僕たちが作り上げてきた(専門家や権力者だけではなく)「経済」や「政治」とう概念を頭(ヘッド)の中で書き変えて、そこに原動力となるハートを含め、その新しい経済や政治を体現(ハンズ)*すれば、それが新たな「現実」となって、常識を書き換えていく。
資本主義*も比較的に新しい発想で、理想を多く抱えながらバグも数多く含んでしまっている。その致命的なバグが僕たちの反社会的言動を促してしまっているんじゃないかな?例えば、健康や家族より仕事を優先したり、環境破壊や弱者を搾取して利益に変えたり。
さらにはそのバグを利用して、極端に地球の富をためこんでいる人たちが社会の不安定さを煽ってしまっているのも深刻な課題*(不思議なことに、彼らは社会的ヒーローとされたりもする)。シェアする人は、大金持ちにはなれない。本当に分かち合う人は、豊かにはなれるけど、お金持ちにはなれない。これは、なかなか受け入れるのが難しい事実。なぜなら、子供の時から僕たちの多くは、お金持ちになることを目指すように促されているから。お金持ち=価値のある人間=成功者=社会に求められている人。逆に、お金がない人=できない人=落ちこぼれ=社会の負担というような常識が流行ってしまっている。これを僕は資本主義教(一種のカルト)とよんでいる。
人生のゴールがお金やモノを集めることならば、分かち合わないことを上手にする必要がある。人生のゴールがより豊かな在り方、社会、地球であれば、上手に分かち合うことが必要。それは、資本主義教から見るとそれは「貧しさ」。命の世界から見るとそれは「豊かさ」。どのゲーム、どの「おはなし」で生きるかは、僕たち一人ひとりが決められる。一気に完璧を目指さなくてもいい。ちょっとずつ、かつ確実に、方向を変えていけばいい。
僕たちの価値はお金やモノで測るものではない
僕も君も木々もプライスレスな存在
一緒に、プライスレスな世界で生きよう!
Have a lovely day~
以下は、Greenzの記事
今の経済活動と人々の幸せってちゃんとつながっているのだろうか?
そんな経済への違和感を抱えるのはあなただけでなく、50年以上前から多くの人たちが感じ、考えてきたことだった。
そんな違和感を起点に、新しい経済の実践が世界中で花開く今だからこそ、この「New Economics」を歴史的変遷も含めて、皆さんにぜひ紹介させてもらいたい。
New Economics (新しい経済学)とは、「自然環境との調和を大前提に置き、人々の幸せに届く経済をつくっていく姿勢と実践」である。日本の広辞苑にその定義が載っているわけでも、イギリスのOxfordの辞書にその定義が載っているわけでもないが、New Economicsをこのように説明するのが一番しっくりくる。
New Economicsの父、経済学者E.Fシューマッハが残したもの
New Economicsの歴史を話すときに欠かせないのは、1973年に『スモール イズ ビューティフル —人間中心の経済学-』を出版した、経済学者E.Fシューマッハ(1911-1977)だ。
シューマッハは、1970年当時から、経済の急速な拡大に伴い生み出されてきた成長の果実だけでなく、痛みに耳を傾けた。そして、自然環境との調和のもとに、人々の生きがいや幸せであふれる生活・仕事を行えるような、人間性をもった経済のあり方を提唱した。New Economicsの父とも言われる人物だ。
シューマッハは自然体の人であり、ユーモアがあり、楽観的だったと聞く。そのシューマッハが残した影響は計り知れないが、その中核をなす考え方があるように思う。
現代の経済システムは、労働(コスト)を最小化し、生産や消費を最大化するシステムである。それに対して、シューマッハが目指したのは、「消費を最小化し、人々の幸せを最大化する経済のあり方」だった。このことが提起する議論の幅は極めて広いが、2つの大きなポイントがあると私は受け止めている。
【参照 MORE INFO】
*学びの3H Head頭, Heart心, Hands手。トランジションタウン運動やシューマッハカレッジなどでよく使われる概念。ホリスティックな学びや生活の捉え方の一つ。
*資本主義も様々な形があって、アメリカでとくに問題視されているのは新自由主義経済やシカゴ学派の経済学。