なぜ、多くのコミュニティー生活プロジェクトが失敗するのか?
パーマカルチャーと平和道場が軌道に乗ってから、その延長線にエコビレッジの様なものを作ってみたいと感じる様になった。世界中で仲間がそのような取り組みをしていて、道場も長期的に住む人がいないことで、なかなか進まない感じがしている。 それとともに、「住む」となると多くの難題と向き合う必要性が出てくる。実際、60年代に流行ったコミューンの多くは消え去った。エコビレッジなども、なかなか10年以上生き生きと進化しているものは限られている気がする。少なくとも、一般化する感じはしない。なぜ、共同生活はこんなに難しいのだろうか? 実際、家族と暮らして苦しんでいる人は多いし、地球というシェアハウスで奪い合いと殺し合いがあるのもとても不思議な傾向だと思う。それが、普通だと思っている人がほとんどじゃないかな?家が有り余っているのに、ホームレスがいることを普通にながせたり。どうなってんだ僕たちは?人間はソーシャルな存在として共同生活なしでは生きていけないけど、共同生活が苦手な致命的な状況にいるみたい。 そんな、ディープで無視したくなるような問題をあえて圧力鍋にいれて、24時間向き合おうとするのがコミュニティー生活なのかもしれない。本質的な平和の追求。現代人が解決できない難題や超えられない限界を超越しようとする試み。創造力と体力勝負の無謀な希望の冒険。 僕はパーマカルチャーの中でも、とくにソーシャルパーマカルチャー(人間関係のデザイン・見えない構造のデザイン)に関心がる。僕たちが抱えている問題の根源はそこにあると信じているから。お互いを苦しめ合ったり、殺し合っていたら、気候変動とか原発事故とかどうでもよくなるよね。どうせ毎日がサバイバルなんだから。Problem is the solution この難題を解決したい。それが一番意味のある人生の取り組みだと思う。How do we create true peace? 本質的な平和をどう創造するか?みんなもそう思わない? 日々の生活の隅々まで平和を実践できたら、しかもコミュニティーとして、それこそが共生革命なんじゃないかな? That’s the world I want to live in!!! ま、そんな長い前置きだったけど、香港のプラムビレッジ(禅の僧院・コミュニティー)仲間がエコビレッジを始める準備をしていて、パーマカルチャー・デザイン・コース、エコビレッジデザインエデゥケーション、非暴力コミュニケーションの国際集中合宿(NVC IIT)などを受けて、フィンドホーン、オーロビル、ダマンフールなどの有名なエコビレッジを巡っているというメールが来た。彼女がシェアしてくれたリソースの一つに、It Takes A Community….というウェブサイトが含まれていた。コミュニティー作りをしている人たちを繋げて支えるプロジェクト。 そこに興味深い記事があった。 Why does the vast majority…
