【RadioActive Radio Ex. 4】デアンジェリス風砂子「ヒッピー人生:空襲からベイエリアへ」
冨田貴史君と始めたアクティビズムをテーマとしたネットラジオ。かなりマニアックだけど社会を真剣に変えたい人やそう言う人の話を聞きたい方におすすめ。番外編第4回目はデアンジェリス風砂子さん。 カリフォルニアのバークレーで出会った凄まじい人生を生きてきた日本出身のヒッピー。話が色んなところに飛んで収集がつかないお話だったけど、米軍の空襲、安保闘争、羽田空港包囲、インドヒッピー生活、カナダのコミューン、 福岡正信さんのために布団をつくってから布団屋になった面白い話が盛りだくさん! 「日本人」の多様性を感じさせられる。 Check it out! 風砂子デアンジェリスBerkeley, California (USA)在住。1936年 浜松市生まれ。 第二次世界大戦夜間空襲の中を逃げ回る。芸大生の時、60年安保闘争。 その後インドへ。ネパールで欧米からのヒッピー達に会う。1969年、子供 3人を連れカナダのコミューンへ。そして今の夫ミノに出会い、New Mexico (USA)のラマファンデーションに3年滞在。1975年にCaliforniaへ。予想外の 布団屋開業。1992年依頼、反戦、環境運動にかかわり、今に至る。現在、 孫 5人のババ役 Life events(上記のブログで話してる内容とかぶる感じ。)一九三六年:風薫る五月、浜松市の酒屋に生まれる。一九四一〜五年:第二次世界大戦。三年生になったばかりに、夜間焼夷弾攻撃で、浜松市は全焼。炎の中を姉と逃げ回る。一九四九〜五五年:戦後初めて男女共学になった中学、高校で「民主主義」「平和憲法」「男女平等」等の新語に出逢い、わだつみ会に参加して記事などを書く。一九五六〜六一年:東京藝術大学美術学部に入学。安保闘争に全エネルギーを投入。そこで出会ったイサムと結婚。長女ノラを身ごもる。一九六二年:長女ノラの一歳の誕生日の直後、イサムは日本画家の母と共にインドへ旅立つ。一九六四〜五年:イサムに合流するため、ノラを連れて日本さよなら。ボンベイで二年間、偽生け花師匠を演じることになる。一九六六〜八年:ネパールのカトマンズで工芸指導所に就職。そこで、アメリカやヨーロッパから押し寄せたヒッピーたちに出会い、意識の飛翔を体験。カトマンズで二人目のヨウを出産したあと、日本に一時帰国。イサムは再びヨーロッパへの旅に出る。わたしは三人目の娘、ケシを出産し、一年後にメキシコでイサムと再会。一九六九〜七一年:メキシコからアメリカを北上、カナダのヒッピーコミューンでイサムとの関係が崩れ、対抗文化のマジックとしか思えない、今の夫ミノと出会う。一九七二〜四年:徴兵拒否者のミノと三人の子どもたちを連れ、ヒッチハイクでニューメキシコ州のコミューン、ラマ・ファンデーションを訪れ、そこで三年間暮らす。一九七五年:ラマを去り、カリフォルニア州バークレー市に移住。一九七八年:ミノと子どもたちを連れ、日本に一年滞在したあと、沖縄列島を旅する。一九七九年:アメリカに戻った直後、日本から訪れた『自然農法わら一本の革命』の著者、福岡正信さんの講演会の通訳をする。それがきっかけとなり、バークレーで「月篭ふとん」を開業。ビジネスを通じて、コミュニティづくりを大切にしながら七年間営業を続ける。一九八七年:初孫が産まれ、その後に両親が他界。さらに四人の孫の誕生を通して、感動的なおばあちゃん役にはまり込んでいく。一九九一年:第一次湾岸戦争が勃発。子供時代の戦争体験が再現し、以後反戦運動、反核運動、環境問題などに没頭する。二〇〇一〜一〇年:九・一一事件、アメリカによるイラク、アフガニスタン侵攻以後、バークレーの日本人グループ「地球の集まり」や「プルトニウム•フリー•フューチャー」に参加し、エッセイ執筆、抗議活動などに参加する。二〇一一年〜現在:福島の自然災害、人工災害の被害が続く中、一人一人の意識と感性の目覚めに基づく改革を支援する。