ここまで生きてきて、いろんな国でいろんな人と出会ってきて、「現実」というものが一つではないこと、「正しいと間違っている」は人工的に作られている変動するもの、そして、いろいろな生き方があるということに何度も気付かされてきた。
その中で、衝撃的だった発想の一つが、子供を産まないことの哲学。
自由でい続けたいから子供を持ちたくないって話は、大学生ごろから聞き始めていたけど、ここで紹介したいのは、別の理由で産まないと選択した人たちの話。
出産記念シリーズ【出産と育児という平和活動】
究極のエコビレッジ PLUM VILLAGE
不幸の連鎖を断ちたいという理由で、恋愛もセックスもしないことを自分に誓って生きている人に会ったのは、自分の常識を揺さぶられる体験だった。
しかも、一人ではなく、数百人の10代から80代の男女がいる多国籍コミュニティの全員が、その誓いをしていた。
で、そこはかなり平和で、みんな協力しあってシンプルに暮らしている、豊かな共産主義*コミュニティ
*本質的な共産主義と、国レベルで独裁政権の中国、ソビエト、キューバなどを僕は区別ついている
そこは、プラムビレッジという禅寺の僧院(母体はフランスで、僕が最初に行ったのはカリフォルニアのDeer Park僧院)
僕は、そこで2ヶ月僧侶たちと暮らしていた時に、なぜ恋愛やセックスをしないかについて聞いた。
その理由は、「執着」と全ての存在を同じくらい愛せなくなるから。
「執着」は苦しみの元
血縁の家族、恋愛のパートナー、親友、子供との関係は、ものすごい執着となり「私の大切な。。。。」、別れた時ものすごく苦しむ。時には、生きる気力を失うくらい。または、痛みで相手を傷つけたり、自分を責めたり。
そして、愛の優先順位ができてしまう。他人より家族を守る。財産や特権は、家族だけに受け渡す。自分の大切な人たちさえ幸せだったら、他の人の苦しみから目を背けてしまう。
僕の解釈としては「全ての命を大切にするために歩みたい平和の道からずれてしまうから」ってことなんじゃないかな。
もう一つの大きな理由は、新しい存在を苦しみの世界に招きたくないから。
考え深い。
コスタリカのジャングルの白人
2008年ごろ、カリフォルニア大学の教員を辞めて、コスタリカのジャングル生活をしていた時に、あるアメリカ出身のカップルと出会った。
世界の危機(気候危機とか)についての話やパーマカルチャーへの関心がすごく共鳴していて、子供の話になった。
彼らは気候危機や人口による環境負荷を考えたときに、子供を産むことは無責任だという結論から、子供を産まないことを二人で決めていた。
それには僕も共感はできる
最近の海外ニュースで欧米の若者が、気候危機と環境崩壊を理由に子供を産まないことを選択しているっているという記事を何度か読んだ。
さらに、経済の不安定化、インフレ、学費やローンの返済とかで苦労している中で、子供を産むことに、あまり希望を感じないよね。その上、コロナとロックダウンとウクライナの戦争(特にヨーロッパの人にとってはインパとがあるんじゃないかな)。
さらにさらに、環境汚染がスケールアップと進化し続ける中、赤ちゃんの中からいろんな汚染物質が発見されている。
→ WIRED.jp マイクロプラスティックは、乳児の体内にも蓄積されている:研究結果
→ オルタナ イタリアで母乳から初めてマイクロプラ検出
→ The Guardian ‘Forever chemicals’ detected in all umbilical cord blood in 40 studies 40の研究ですべてのへその緒から「永遠の化学物質」が検出される
こういうことを知ると、子供を産むことが重くなってくるよね。
子供を産むことの何がいいのか?
産まないと選択した人たちの話にはとても共鳴するけど、僕は高校生の時(その前は覚えてない)から子供が欲しいって強い欲求?興味?ミッション?があった。そこは、言葉にできる理由もあまりなく、ただ自分の中でそれは自分にとって必要なことって決まってた感じがする。
プラムビレッジで僧侶と暮らしていたときは、恋愛/パートナーシップが引き起こす苦しみがすごく明確に見えて(他にも色々理由があって)出家しようと真剣に思っていた頃もあった。そのときは、子供を持つことを手放していたっぽい。
でも、出家はまだ検討中で、恋愛やパートナーシップにものすごく引かれる何かがあるから、二人目の子供が生まれる人生の流れになった。
子供を授かったことは、本当にありがたいこと
何がいいのかというと
人生/世界観が変わる
視野が広がる&深まる。一人または夫婦/カップルから、3人以上の存在になるのは想像を超えた感覚。個人から親密な生態系に変容する感じ。
親への感謝が増す
親が妊娠から出産、その後の子育てでどういうことをやっていたのか、感じていたのかが知れる。最初は、親に謝りたいくらい、「全然分かってなかった~」って思ったのを思い出す。
次世代を通して、親を知る
癒し we were all once innocent
いろんな痛みと怖い体験からいつの間にか、戦うことや身を守ることで素直な自分を見失ってしまってたことに気付かされる。僕たちはみんな、ものすごく純粋で、素直で、ただ愛と安心を求めていた小さな存在としてスタートしている。
赤ちゃんや子供と過ごすと、そういう自分を思い出す機会になっている。&どんなに「悪い」「恐ろしい」と思う人も、生まれたときは無防備で純粋な赤ちゃんだった。
vulnerable 無防備さこそが、平和な社会、平和な心の重要要素
その自分の部分と触れられると、よりwholeになれる(全体性を取り戻す)。そして、自然に思いやりや優しさが自分の中から流れてくる。
赤ちゃんや子供は、その部分を引き出してくれる。ときには痛みも。
BEING「あり方」の先生
僕は、最初に生まれた娘を「僕の禅の先生」ってよんでいる。赤ちゃんには「いまここ」しかない。いまここで、ただただ素直で無防備にあり続けている。禅やNVC(非暴力コミュニケーション)で教えられていることを体現しているように僕には感じられる。
2歳くらいまでは、ジャッジ(評価、批判、良い、悪い)もなかった。親や他人に抵抗するときは、ガンジーが提唱した非暴力非服従で自分の意向を権力者(親とか、大きい人たち)に訴えていた。
人間も動物であることを思い出す
文明化すると人間は、動物と人間を分けたり、自然と人間を分けたりする。動物(馬鹿、猿、ナマケモノ)を悪口に使ったり、体の排泄物を悪口にしたり(クソ!)。
でも、文明化されても出産している女性は、野生の状態を取り戻す。自然出産に立ち会うたびに僕たちも動物だったって思い出す。そして、赤ちゃんと共に生きると、うんちやおしっこと毎日触れ合う(特に布おむつを洗う人だと)。ま、僕の場合は家がコンポストトイレでおしっこは肥料にしているから、どっちにしろ毎日触れ合っているけど。
we are animals.
We are nature.
センス・オブ・ワンダー
とくに、男性におすすめしたいのは、出産に立ち会うことと、積極的に出産と乳児に関わること。
いのちのリズムを体に響かせる
赤ちゃんが重要なことを教えてくれる
あり方と社会を整える
産むか産まないか、どっちも素敵な道になりうるけど、大切なのは赤ちゃん、子供、妊婦と関わること
その領域からより深い平和活動、持続可能な未来づくりが芽生えてくる