僕がアクティビスト(平和活動家)として開花したのは20年前。2001の911WTO同時多発事件の数ヶ月後。
その頃、ショックと混乱の中、きっかけを待っていたアメリカの共和党政府と軍需産業が大手メディアと連携して、国民の恐れと怒りを24時間ニュース番組で煽り続けていた。ナオミクラインはこれをショックドクトリン(惨事便乗型資本主義)と呼んでいる。
歴史の教科書や映画でしか触れることのなかった、戦争。戦争体制に入る国がどんなものなのかを体感した。平和活動をする中、なんとか戦争を止めようとする多様な人たちの美しい行動から、戦争体制の国家がどれだけ恐ろしいものかまで、「普通の日本人生活」を送ってたら感じられなかった、貴重な体験だった。
アクティビストとして生きるようになった20周年記念として、戦争と平和、非暴力と今起きていることについて、記事を書きたくなった。
多くの人は気づいていないかもしれないけど、911とその後のアメリカの「終わりなきテロに対する戦争」は、世界を大きく変えて、いまだにそれらの変化の波紋は続いている。
最近ニュースに出ている、米軍やNATOのアフガニスタン撤退とタリバン政府の発足が、その象徴的できごと。イラクからシリアの崩壊、市民運動を鎮圧するための政府の「緊急事態」の活用、自衛隊がアメリカ戦争への支援、テロリスト活動の促進などなど。
考えはまとまってないし、まとまる事がないかもしれないけど、911の20年後の今、自分が何を考えているか、言葉にしてみた。
1。イントロ
始まりは、授業の真っ只中に学生たちが立ち上がって、教室から去っていく新鮮な現象だった。掲示板には「2:00 pm Walk Out」と書かれていた。ドアに向かって歩いている学生たちを見ながら、僕はこのまま「良い学生」を演じて、現実とかけ離れた授業を聴き続けるか、心が動こうとしている未知への冒険に出るか、ためらっていた。
でも、信じられない世界に留まる事がもうできなくなって、立ち上がって学生たちと共に、初のデモ行進に参加した。状況をあまり理解できないまま、大学を閉鎖するアクションに加わっていた。そこには、学生、教授、大学のスタッフ、地域の人々などが数百人集まっていた。アフガニスタン爆撃機の日。
僕は、2001年から学生たちとなんとかアフガニスタンやイラクの爆撃を止めようとしていた。10代や20代の学生が戦争政府と軍需産業と暴力を煽る右翼メディア(FOXなど)を相手に、デモや勉強会などを毎週のように繰り広げていた。
軍隊の勧誘も大学から追い出して、全米ニュースに取り上げられた。そこで、自分たちの影響力を実感したとともに、その恐ろしさも味わった。
メディア対応係の個人電話番号が、右翼系の有名ブロガーに「みなさん、この非国民の番号を好きにやってください」というメッセージが拡散され、殺害予告電話が殺到した。大学長も殺害予告電話などが殺到して、他にも色々プレッシャーがかかり、自殺した。
さらに、国防省が僕たちの団体 Students Against War を国家安保の credible threat (確かな脅威)として指定していたことが、全米ニュースで暴かれた。
家の外には、ハリウッド映画で見たような大きな白いバンがよく駐車していた。中には人気はなかったけど、監視されている前提で日々暮らしていた。いつか捕まるかもって思いながら、活動していた。怖かったのは、「テロ」として国家に指定されると、本来適応されるはずの人権や法律が、除外されてしまい、無期限拘束や拷問が可能となってしまう。
この想定外の一連の出来事が、僕のアクティビズム(平和活動、ソーシャルジャスティス)への洗礼だった。そして、おそらく文明が始まってからずっと続いてきた、長い平和活動の流れの一部になったきっかけだった。
日本の平和活動の歴史についてはあまり詳しくないけど、おそらく第二次世界大戦中の日本はもっと恐ろしかっただろうなって思う。僕のような存在はもう殺されていたと思う。そんな中で平和活動をした多くの人たちに、心から敬意をはらいたい。
2。戦争が止められなかった!
反戦運動を始めてから、何度も絶望してきた。どれだけ、試行錯誤しながら頑張っても、戦争は悪化する一方。アフガニスタンの後は、911のテロ事件とは無関係だったイラクの侵略が始まった。イラク周辺の地域がどんどん不安定になっていって、シリアもめちゃくちゃな内戦状態。
20年間活動してきたけど、状況は悪くなっている一方な感じがする。
平和活動に意味があるのか?
周りから冷たい目で見られ、身の安全のリスクも増え、わかりやすい結果がでない反戦運動。
でも、意味はある。
僕は、ここ数年で大きな結果(戦争が終わる)を求めなくなった。
分かりやすい結果から、僕の心と言動のあり方に焦点をシフトした。
RESULTS → BEING x DOING
僕は、平和な社会のために人生を活かすことを決めた。
反戦運動も、パーマカルチャーも、NVCも、ギフトエコノミーも全部、その表現として実践している。
There is no way to peace, peace is the way
3. 根源は何か?
戦争を症状だと思っている。戦争を止めるためには、より深い根っこの部分を見つける必要があると思うようになった。
じゃ、なんだろう?
資本主義?
資本主義の前から戦争と抑圧があった。
トラウマ、トラウマを引き起こす子育て、抑圧的な構造・パトリアルキー、お互いと自然との分離とかが、今の僕の根源の仮説(の三連発!)
僕は幸い平和活動家(3.11以降は共生革命家)になれたんだけど、高校卒業するあたりで米軍に入隊したいと思っていた。兵隊として、アフガニスタンやイラクで平和と民主主義のために、人を殺していたかもしれない。紙一重だね。条件が揃っていたら、軍人とか、独裁者になってたかもしれない。
戦争は悪い人(人たち)がやることではなくって、トラウマがある(主に)男性が自分の身の安全や存在価値を感じるために、引き起こされていると思うようになった。そして、そういう人が権力者になって、多くの人を操れるようにしてしまう破壊的な構造(パトリアルキー?)が、大規模な暴力を可能にしているように見えてきた。
みんなが従わなかったら、戦争はできないもんね。
もしかしたら、男性性と女性性のバランスが取れた(強さや優等さを強調するのではなく)、無邪気な男性をみんな(核家族ではなく)で育てることが、平和な社会への重要な一歩なのかもしれない。
4. 女性
なぜ、戦争を指示して、戦うのはほとんど男性なのか?
まだ、どう表現したら良いのか整理ができていないけど、戦争や戦争文化はものすごく女性差別や暴力をあらわにする。
戦争の中で、女性のレイプは頻繁に報道される。児童レイプも。戦争の戦略としても集団レイプは使われたりする。第二次世界大戦中の日本もそうしていたみたい。
米軍内部でも、女性兵隊のレイプが問題としてずっと続いている。味方でさえ!さらに、恐ろしいのが、レイプ被害者を支援するはずの軍隊の部署が、性暴力被害者の弱みを悪用して娼婦事業を行なっていた事件があった(A US Army sergeant in an anti-sexual-assault program pimped female soldiers at Fort Hood)。レイプを訴えて、男性の兵隊に殺されたケースもこの前ニュースに出ていた。
人を殺すことを何年も毎日トレーニングして、常に心身にものすごいストレスをかけていたら、レイプや殺人はおこるでしょ。
悲しい
でも、これは戦争や軍隊のだけの問題でもないよね。僕たちの社会の中でも、当たり前のように性差別と性暴力が起き続けている事が、とても残念。そして、教育なのか分からないけど、男性だとその差別と暴力の影響の規模に「気づく」のが、不思議なくらい難しい。僕は、大学生になるまではあまり男女の対等さなどに関心がなかった。理解や気づきが深まっているものの、不平等な状況にどう効果的に対応をしたら良いのか、いまだにわからない。
いろいろ失敗しながらも、学びながら、取り組み続けたいと思っている。
戦争の話に戻ると、たまに思うのが、女性が総理大臣だったり、議員の大多数が女性だったら、戦争が減るのではないかと。さらに、女性性がより政治や経済に取り入れられたら、もっと健全な社会になるんじゃないかな。
日本が戦争に二度と加担しない、平和な未来のためにも重要な方向性だと信じている。
5. 誰でも「テロリスト」
僕が購読しているガーディアンというジャーナリズム系ニュースで、幾つか気になる記事があった。
The Guardian Anything goes’: how 9/11 led to a global security clampdown
911の後に、アメリカでは緊急対テロ対策や法律が民主的な議論のないまま押し通され、「テロリスト」と呼べば、その人に何をしてもいいような流れができた。自称人権と民主主義の代表アメリカがそんなことをやったから、他の政府も真似をした。そして、世界中で野党の政治家、環境活動家、対汚職活動家などが「テロリスト」として呼ばれ、攻撃されるようになった。NGOやNPOも、政府にとって不都合な場合は、テロリスト指定されて、関係者を証拠なしで拘束したり、銀行口座を凍結して鎮圧が過激化している。
テロ事件直後の緊急対策だったはずの法律が、20年後の今もアメリカや多くの国々で続いている。無期限の緊急事態対策という、新たな流行りの政治体制。
国連も、2002年のアメリカの対テロキャンペーン中に、アメリカの方向性を導入することになり、人権保護や平和の優先順位が下落した。
「対テロ」とアピールできれば、ある意味、権力をもってる人たちはなんでもできてしまう状況になってしまった。
6. やっぱり平和
絶望や葛藤が続きながらも、やっぱり平和な社会に向けて動き続けたい不思議なエネルギーが僕の中に宿っている。子供の幸せのためにも、自分の幸せのためにも、全ての命の健やかさのためにも。
Imagine a world with no war
戦争と争いがなくなれば
どれだけ素敵な世界が
芽生えるか
見てみたくない?
その美しい光景
僕は見たい
見れなくても、
その世界に近づくために
努めたい
Peace activistになった20周年記念に
そんな自分をお祝いしたい
そして、僕をインスパイアしてくれた多くの活動家たち
平和活動のシンボルになったガンジーから
歴史に忘れらてしまった多くの勇気ある人たち
戦争中も子育てを続けてきた母たち
なんとか必死に生き延びた子供たち
そして、どんな人間でも受け入れてくれる
この美しい地球
ありがとう