日本には抵抗/社会変革の文化があるのか?

2012年6月29日官邸前反原発デモ
写真はhttp://bund.jp/?p=34864より

今日のReimagining Activismのセッションで、仲間の斎藤ゆかちゃんがバークレーから参加してくれた。セッションの最後に、彼女が日本でワークショップ(アクティブホープなど)を行った時に、何か(不条理とか)に「NO」と言うことに対してあまり共鳴する人がいない体験をしてきたと言ってくれた。

彼女が住んでいるバークレーやその周辺のサンフランシスコやオークランドは、市民運動が歴史的に盛んで、体制や不条理に「NO!」という主張や抵抗運動が文化の重要な側面とも思えるくらい盛り上がっている(それだけ深刻な問題が続いているという悲しい現実もあるけど)。それらの地域はBay Areaと呼ばれていて、今まさにBlack Lives Matterの運動が繰り広げられている場所の一つ。僕もそこでアクティビストの洗礼を受けて、何度もアクションに関わってきた。でも、それに比べると、日本で「反対運動」とか、デモとかの話をしたりお誘いをすると、「アレルギー」、恐れ、疎外感のような冷たい反応で返されることを何度も体験したり、仲間から聞いてきた。

そこで、その現状に対して「海はそれについてどう思ってんの?」ってゆかちゃんにきかれた。(記憶力悪いから違ったかも。。。)

それについて思いついた僕なりの答え

1。日本人は抵抗運動をずっとしてきた。「日本人は抵抗しない」「対立を避ける」「従順である」は、実際そうである感じもするけど、基本的には教育機関やメディアが作ってきた神話だと思う。歴史的に多くの抵抗運動があったし、今でも沖縄の米軍基地、原発、気候変動、性暴力、児童虐待、LGBTI、いじめ、汚職などに対しての抵抗運動が存在している。「体制に抵抗することは良くない、避けましょう」という信念が強めなのかも。

→ 日本の抵抗運動の歴史については、とても素晴らしい記事を見つけたので、最後に貼り付けた


2。日本のアクティビズム(社会運動)の効果的なPRがある感じがしない。教育機関とメディアが社会運動をとてもドライに「事実」と数字だけで表現したり、「危ないもの」「成功しないもの」「反社会的なもの」として徹底的にブランディングしている感じがする。現実とはかけ離れた「悪いイメージ」(ヘルメットを被って戦っている全学連とか)が日本人の心にしっかり植え付けられている。

一般の日本人のテイストが分からないけど、僕の心を動かしてきたイメージをちょっとシェアしたい。

不条理に対して立ち上がることを「カッコよく」見せたり、状況を異常さを引き出すイメージだったり。日本にはないわけではないんだけど(SEALDsとか)、何が違うんだろうね。土壌?後、書いてみて思ったんだけど、実際どこまでPRがレバレッジとして効果的なのかも分からない。でも、大事な気がする。。。


3。デモ行進のような抵抗運動をすることが、必ずしも効果的とは限らない(より総合的なキャンペーンの中の一つの戦術と聞いたことがある)。抵抗の定義や、やり方にもよるけど、欧米でニュースに出るデモや抵抗運動は、もしかしたら欧米の世界観、価値観、風土によるもので、日本には日本の世界観、価値観、風土により適したアプローチがあるのかもって、たまに思う。それが何かはわからない。ただ、欧米で流行っていること(経済思想、ビジネス、テクノロジー、ヨガ、社会運動など)が「最先端」「優れている」「進んでいる」と思ってしまうマインドセットも、一種の植民地化(mental colonization)の現れなんじゃないかなってときどき思う。

と言っても、いじめや構造的な暴力、多くの人が苦しむ不条理を見てみぬふりをすることが「日本的」とは思わないし、そもそも「日本的」とか「日本人気質」を誰が何をもとに定義するかによって、変わってくる(僕も多くの抵抗運動に関わってきた人も「日本人」ではあるから)。これについてはもうちょっと深く考えていきたい。とくに、僕やゆかちゃんは、アメリカ西海岸のアクティビズムの文化を日本に広めながら根づかせようとしているから。


アクティビスト仲間からは、暴力的なパラダイム(構造、システム)に抵抗しながら、新しい非暴力のパラダイムを育むことの両立が大事だとよく聞く。今後、それを日本でどう展開していくかは、まだ模索中。一緒にそこをみんなと探究&実験していきたい。

愛に動かされて

以下、ちゃぶ台返し女子アクションのnoteより一部引用
全文はここ←オススメ!!!

「日本には抵抗の文化がない」? 日本の抵抗の歴史と、コミュニティ・オーガナイジングに学ぶ社会の変え方

命がけで立ち上がった、日本の「抵抗」の歴史

もえ:「日本人は声を上げない」、「日本には抵抗の文化がない」などの主張を見聞きすることもありますが、これは違うのではないかと前から思っていました。声を上げない・上げられないことや、今の時点で社会運動が他の国と比べて強くないことの原因を「日本」や「日本人」という国柄・国民性や文化に見出そうとしているように感じます。むしろ、こういう主張を繰り返すことで、「しょうがないよね」と自分を説得してしまっているのではないかと思うこともあります。これについて、COや社会運動を学んだかのこさんはどう思うのか、ぜひ聞きたいです。
(※「抵抗」や「声を上げること」にも色々な形があり、みんなで実現する公のものから、個人レベルでできることまでたくさんあるということは記しておきたいです。そして、アクションを起こしたくても、公の場でアクションをとったり、声を上げることができない人もいることを常に念頭に置いておきたいと思っています。)

かのこ:その主張は全く違います。日本には、非常にリッチな抵抗の文化があります。まず、一揆があります。一揆は室町時代(1336年〜)からありました。一揆は、よくイメージする「斧とか釜を持って襲う」ことを指していたのではなくて、一緒に行動を起こすことを指していました。日常的に一揆がありましたし、一揆の作法みたいなものも開発されていました。最初は近所の人たちが集まって、「いや〜この税金つらい」、「この税金ちょっとありえないでしょ」、「これ生活できません」と話し合い、これは一緒に行動を起こすしかない!となったんです。

行動を起こすと決めたら、次はみんな神社に集まります。なぜ神社かというと、神様を超えた存在になりたかったからです。神社でみんなで署名をして、署名した紙を燃やして、それを水に溶かして飲みました。みんなで一体感を作るために。場合によっては、自分は人間ではない、日常の存在ではないということを象徴するために、蓑や笠を被ってみんなで出動しました。

基本的には、話し合いを求めることが最初にやっていたことです。それでも話を聞いてくれなかった場合は、農作業を拒否するボイコットをしたり、バリケードを作ったり、みんなで村から逃げたり、色々なやり方で強く抵抗していました。

たとえ一揆がうまくいっても、首謀者が引っ立てられて殺されたりしてしまうこともありました。なので、一揆をする際に団結して署名をするとき、首謀者がわからないように、花びらのように円形で書くんです。もし首謀者が引っ立てられて殺されても、その人の家族の面倒はみんなで見る、と誓い合ったりもしていました。命がけで抵抗してたんです。

このような抵抗の歴史は室町時代からずっとあったし、江戸時代もあったし、明治に入ってもありました。明治、大正、昭和にかけても、労働運動や労働争議、ストライキは本当に日常的にありました。特に戦後は、労働運動に加えて公害運動––水俣病や四日市喘息––が活発化し、1970年の公害国会では14個の公害法案が通りました。これも、公害運動で多くの人が声を上げて抵抗しなければ国会側もそこまで動かなかったと思います。そういう抵抗運動や声を上げるということは、ずっとやってきた人がいる国だと思います。

今こそ求められる、力を失わないための「連帯」

もえ:かのこさんから説明があったように、歴史的に抵抗してきた例はあるのに、なぜ「日本には抵抗の文化がない」という主張が出てくるのだと思いますか? そしてなぜ、メディアもそういう主張を取り上げた上で反論しないのだと思いますか?

かのこ:色々な要因があるのですが、整理すると①安保をめぐる運動(安保闘争)、そこから起きた②「ノンポリ」の広がりと③社会運動に関わっている人たちの排除・孤立化。さらに、④高度成長期、⑤公的アクションに対する規制強化、⑥運動のNPO法人化へのハードル、⑦終身雇用の7つが挙げられると思います。

一つの大きな要素は、1960年代〜1970年代の日米安全保障条約(以下、安保条約)を巡る運動があります。この運動には最終的に300万人くらいが参加して、国会前にも何百万人が集まってすごく大きな動きになりました。それが結局、安保条約を止めるという最大のゴールが達成できなかったということがあり、その結果、過激化した人たちが一部いました。本当に一部の人たちだと思うのですが、「社会運動=過激な人たち」というイメージが出来上がってしまいました。残念なのは運動が完全に失敗と捉えられたことです。民主的でない方法で安保条約を進める岸首相の退陣も運動は求めていて、それは成功したのですが。また、ある日本史研究者によると、自民党は安保運動の後、野党にも意見を事前に聞いて法案を検討するようになったなど民主的な法案審議に変わったという見方もあります。運動で得たものはあったんです。

メディアも「社会運動=過激な人たち」という風に取り上げるので、社会運動をする人たちが排除されてしまう状況が起きてしまったと思います。安保闘争のあと、「政治的な信条はありません」という意味で「私はノンポリです」とみんな言うようになりました。政治的なスタンスをとったり、政治について話したりすることが難しくなってしまったと同時に、社会運動は過激なものだから距離を取った方がいいということで、社会運動をする人たちがどんどん孤立してしまったのだと思います。

さらに、安保闘争が失敗した時期と高度成長期がちょうど重なっていたので、運動を頑張っていた大学生たちは会社に就職して、経済成長に乗っていきました。それでもう十分幸せという考えが広がったのだと思います。そして政府も、みんな頑張って働けば、親よりも豊かになっていい生活が待っているという絵を描けていたと思います。そういう風に将来が描けている中では、大半の人が、社会運動をして自分たちの世の中を変えていくというよりは、経済活動をして、一生懸命働くことによって自分たちの生活を良くしてくという、保証されている道を選ぶのではないでしょうか。

安保運動のあと、政府も反省し、そういう運動が今後起きないように、デモなどをやりにくくした面もあります。許可を取らないといけないことが増えたり、公的アクションがとりにくくなったりしました。

また、社会運動をした人たちは、運動を持続可能にするために組織として法人化・NPO化していくことがよくあるのですが、日本の場合はNPO法人を作るのが1998年まで困難でした。また、何が「公益」かというのは政府が決めるので、政府が賛同できない目的のものは受け付けられないという面が1990年代までありました。社会運動の中には、必ずしも政府と目的を共有しない、政府からすると「面倒くさい」存在の人たちの場合もあるので、そういう人たちは法人化するのが困難でした。

もう一つは、終身雇用の役割もあると思います。一つの会社に入って勤め上げないといけなくて、自分がこの組織で生き延びないといけないという状態において、会社や社会に対して声を上げるということはしにくいですよね。

もえ:今の質問への答えですでに少し言及してもらったと思うのですが、安保闘争以降に声を上げにくくなった原因というのは、どのようなものがあるのでしょうか?

かのこ:先ほどお話しした原因はありますね。日本では、社会運動や成功例があったとしてもそれが知られていないということもあります。あとは、「同調圧力があるから出る釘は打たれるから声が上げにくい」という主張は違うのではないかと思っています。例えば、韓国も同調圧力がある国だと思うのですが、韓国は日本と比べてもっとデモが起きます。社会運動に対する考え方も、日本と比べ物にならないと感じます。なので、声が上げにくい原因は、必ずしも文化的なことではないと思うんです。

もう一つ声が上げにくい要因は、自治会・町内会の位置付けに関係していると思います。日本人の持っているボランティア経験は、大半が自治会や町内会なんです。

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