2015年に完成した初めての本「Urban Permaculture Guide 都会から始まる新しい生き方のデザイン」
日本のパーマカルチャームーブメントを盛り上げるメディアを作りたいという思いと、パーマカルチャーデザインを本作りに応用する挑戦をしたいという気持ちで創造した作品。
本が出版されてからずっと、その想像するプロセスを記事にしたいと思いながら5年が経過。本も売り切れたので、次の5刷り目にはこの記事ともうすぐ投稿する予定の9つの資本の話を付け足す予定。
結果(本)も素敵だけど、プロセスなくてはその結果はない。そして、パーマカルチャーは関係性のデザイン。関係性はプロセス、常に変わり続けているもの。だから、僕はプロセスにいつも関心を向けるようにしている。その肝心のプロセスをやっとみんなにシェアできるのが超お祝い。そして、この記事は僕の無謀な呼びかけに集まってくれて、共にエッジの世界で創造した人たちへの感謝の表現でもある。関わった人、信じてくれた人、支えてくれた人、みんなありがとう!
記事はGreenzの「ソーヤー海の共生革命日記」で二回に分けて投稿されている
ハロー! ソーヤー海だよ。今回は僕なりのパーマカルチャーの実践応用のひとつを紹介したい。
パーマカルチャーというと、生態系や土地に焦点を当てた農的な暮らしのデザインが原点だけど、「本」というメディアをデザインする時にも、パーマカルチャーの原則や世界観を使うことができるんだ。それを「ソーシャルパーマカルチャー」と僕は呼んでる。
この記事で紹介したけど、オーカス島のブロックスで学んだパーマカルチャーの技術や想像力を試すために、僕は2011年から東京でパーマカルチャーを実践し始めた。とりあえずベランダのプランターで苗を植えたり、近所のゴミだらけの空き家の1㎡ぐらいしかない場所で苗を勝手に植えたり(思えばこれが僕にとって初めてのゲリラガーデンだった!)。
でもオアシスみたいなブロックスの農園と東京はまるで正反対の世界。東京では土地にアクセスするのが難しいし、サポートやコミュニティもあまり感じられないし、ゲリラで何かやると人を安易に誘えないし、ちゃんとやろうとするとお金の管理や関係性とかの難しい要素が増えるし……。という感じで負の要素しか最初は見えなかった。
パーマカルチャーの実践者は日本にもいたけど東京ではパーマカルチャーを認識していた人はほとんどいなくて(いまでも?)、ほとんどゼロから自分で始める体験だったんだ(後から気づいたんだけど、実は日本のパーマカルチャー土壌を育ててきたパーマカルチャーセンタージャパンPCCJの設楽さんや、オシャレなパーマカルチャー魔女のセシリア・マッコーリー、僕のパーマカルチャーブラザーのフィル・キャッシュマンたちがすでに東京で活動していたんだけどね)。
そこで、まずはパーマカルチャーのワークショップをしながら仲間を増やして文化の土壌を育てようと思ったんだ。「まずは土づくりから!」って。森のように土壌が肥えていると勝手にいろいろ育ってくるからね。明確なプランはなかったんだけど、そのうちに、何かをやると別の何かにつながって……みたいに広がっていったんだ。
四谷三丁目にある「One Kitchen」で毎月ワークショップさせてもらったのもそのひとつ。ある日、One Kitchenのオーナーが「海くんがワークショップで広めてきた情報を本の形にして残そうよ」って言ってくれたんだ。だけど僕は本なんて一度もつくったことがないし、簡単につくれるとも思わなかったし、そもそも日本語で文章を書くのが超苦手! 誰かを雇ったり自費出版したりするお金もない。だからどこから何を始めたらいいか全然わからなくて、妄想のまま一年が経った。
そこで、ワークショップで仲間を募り始めたんだ。謳い文句はこんな感じ。
「田舎でやる農的暮らしではなく、これまでやってきたワークショップのことも入れて、都会で楽しくポップに展開するパーマカルチャーを紹介するZINEをつくりたい!」
「みんなが消費者から創造者になりたくなる魅力的な招待をしたい!」。
このとき大事にしていたのが、「お金や大きな出版社に頼るのではなくて、パーマカルチャーのデザインでパーマカルチャーの本を試みる」ということ。つまり、身近にある資源をうまく生かしながらつくるという、パーマカルチャーの原則を実践したかったんだ。
PART 1 パーマカルチャーが土台にあったからこそ。ワクワクとインスピレーションを有機的に進化させた、ソーヤー海ならではの出版術。
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PART 2 コラボ仲間は、400人以上。ソーヤー海の「本をつくろう!」という無茶な夢がみんなの夢になったから生みだせた変化って?