パーマカルチャーと平和道場を通しての探究と学び
僕が今、一番時間とエネルギーをかけている実験が「パーマカルチャーと平和道場」 2016年からGreenz.jpの鈴木なおさんと始めたこのプロジェクトは、僕らの理想と超エッジのチャレンジ。分からないことだらけで、常に難題に直面している感じ。2〜3回鬱にもなったくらい! 東京アーバンパーマカルチャーなのに、「なんで田舎でボロイ古民家を再生するの?」って仲間にがっかりされたりも。 でも、そこからの学びはものすごく深くて、自分の心、社会のシステム、そして理想の具体化について多くの気づきをいただいている。be the changeの難しさを痛感しながら、よちよちとより美しい世界へ向かっている実感がある。 立ち上げの時の記事はここ「消費者」から「文化の創造者」になろう!「パーマカルチャーと平和道場」プロジェクト@千葉県いすみ市 今は、暮らしの実践プログラム(3回目)が中心的な活動なんだけど、それと同時に、道場のコミュニティデザイン(運営とか)を進化させようとしている。 *3期生の自己紹介と最近の道場の様子はここ去年から「なんちゃってコープ(協同組合)」という形をやってみて、望んでいたほど機能してなかったので、なおさんの提案で「ティール化」を進めている最中。 この話し合いの中で、僕がもっている問い、学び、気づきがいろいろ出てきたので、みんなとシェアしようと思った。 【問い】一緒に考えてみてほしい → コミュニティって何? → 理想的なコミュニティってどんなもの? → どうすれば、自分の中やコミュニティの中で、寛容さ、やさしさ、思いやりが育まれるのか? より心が開いていく流れをどう育てればいいのか? いろんなことを試みているけど、大事なポイントはどこなんだろう? → 「余裕」はどのように増やせるのか? → どこまでリードして、どこまで「みんな」に委ねたらいいのか? → 個人の自由と共同体としての調和ってどうすると実現するのか?「ねばならぬ」ではない、お互いのことが自分ごとになる関係性ってどう育めがいいのか? → タスクと責任が一部の人に集中しない、効果的なコミュニティデザインってどんなものか?(例えば、お金関係を世話する人が一人だけだったり、取りこぼしを拾う人が同じ二人だったり) → システムと意識の関係性ってどんなものだろう? どちらかだけを変えることはできるのか?関係しあっていると思うんだけど、同時にどう扱えばいいのか? → 生きるってどういうこと? 何を目的にしたらいいのだろう? そもそも目的っているのだろうか? 何でもいいのか? 良い悪い(正しい、間違っている)がない判断基準ってどんなもの? → 無常の世界の中で何かをやろうとすることに意味があるのか? → しあわせが大事なのか、意味が大事なのか、すべてを手放すのが大事なのか?何を目指せばいいのだろうか? → 無関心と無我の違いってなんだろう?…