ギフトエコノミーに憧れる資本主義教徒

資本主義とギフトエコノミーについて毎日のように考えている。

僕が人生をかけて取り組んでいるのは、【全ての命が大切にされる世界】をつくっていくこと。これだけ素敵な地球で、なんで僕たちはこんなに搾取や破壊を続けて、自分達の苦しみを再生産し続けるのか。

不思議だと思わない?

自分達を賢いと思いながら、すごく頑張って、自分達が直面しているあらゆる問題を研究して、イノベーションを続けながら、自分達で作った問題(戦争、抑圧、気候変動、ゴミ、プラスチック、放射性物質、永遠の化学物質)を一向に解決できない悲劇の悪循環。

これらは人工的に作られた、僕たちの発明なのに

みんなはどう思う?

大学生になって、9.11のテロ事件とアメリカ軍のアフガニスタ空爆に続き、イラクの侵略が起きる中、僕は世の中に対する違和感がどんどん増していった。自分が教えられてきたことが嘘なんじゃないかって確信をもち始めた。

そして、コスタリカのジャングルで生活する中で、さまざまな気づきがあった。

自然界には、お金がない。

お金で悩む動植物もいない。

お金が必要ない。

自然界は、ギフトエコノミー、増える経済で動いている。

所有と交換ではなく、循環

必要なとこに、資源が自然と流れる、究極のシステム

血液が体を巡って、僕たちが生きていられる状態を保っているように

母親が赤ちゃんに母乳を与えるように

母乳経済

所有の前提は、切り離された存在であること

全てとつながっている存在であれば、所有をする意味がない。心臓が血液を所有して、細胞からサービス料をとり始めるのは変だよね?

母親が母乳代を細かく記録して、社会人になってから、請求されるのも変だよね?

でも、資本主義思想はまさにそういうことをしている。みんなのものを、私有化(privitize)して、それをお金と交換する。土地も、水も、森も、歌も、DNAも、僕たちの習性も。

切り離された不安感、痛み、恐れをなんとか穴埋めするために、どんどん所有して、消費を続けて、お金儲けをしているのかもしれない。

自然界には、ゴミもない

ゴミ問題もない。分別も、リサイクルも、ゴミ取集車も、埋め立ても、焼却炉も、プラスチック問題もない。

自然界で当たり前のように起こっている事を、僕たちは複雑でエネルギー消費が高い、「最先端技術」で再現?超越?しようとして、ゴミと汚染を増やし続けてる。

なぜ?

資本主義思想で見たときに、自然界の循環は、個人の利益にしにくい。資本主義のゲームは、主に金融資本を集めるゲーム。だから、資本主義教としては、自然の循環は参考にならない(誰も儲かってないから)。

ゴミがあると、ゴミを処理するビジネス/サービスができる。儲かる人がいる。雇用も生まれて、雇われた人の消費生活を支えられる。GDPも上がる。政治家の業績にも使える(雇用を産んだ)。

ゴミがなくなってしまうと、儲けを失う人がいる。雇用もなくなる。消費生活ができなくなる人が出てくる。GDPも下がる。政治家の業績も落ちる。

戦争もなくなると、雇用を失う人、利益を失う人、立場を失う人がものすごくいる。

持続可能な社会とか、SDGsとか、気候変動対策とかが、結果を出せないのは、根源を変えずに、表面で頑張って応急処置に取り組んでいるからじゃないのかな?

プラスチックのゴミをいくら拾っても、プラスチックゴミの生産が続けば、プラスチックゴミは無くならない。

僕たちは、数千年以上残るゴミを子供たちに、当たり前のように受け継がせている。

でも、僕たちもそういう社会に生まれ育って、気づいたら、そいうことが常識とされていた。

僕たちのせいではないけど、僕たちはそれを再生産し続ける必要はない。これを続けても、自分達も幸せじゃないし、次世代もどんどん苦しむことになる。

自然界では全てが循環するようにできている

ギフトは、循環するものって考えると分かりやすいかも

コスタリカのジャングルに住んでいたときに

近所の猿たちや軍隊アリたちが仕事に出勤せず、毎日タダ喰いして、無料で暮らしていることにはじめて気づいた。

なぬ?!!!

よく見ると、全ての動植物がタダで暮らしていた。

マジで!!!

まさか、ジャングルにいる俺だけが、お金のために時間とスキルを売って、毎日のように買い物をし続け、ラベルを信じながらエコ消費をし続けて、ゴミを捨てて、「お金がないと食っていけない」というマントラを唱えながら、生きていたのか?

しかも、みんな食料の集め方や、家の作り方を身につけていて、東大の大学院まで行った僕は、生きていくために必要な技術がほとんどない!食べ物もほとんど育てられないし、森の中で何が食料や薬になるのかも知らないし、家も建てられない。

お金の作り方と使い方、華やかな履歴書の作り方、パワーゲームの中で偉そうに振る舞うのは、そこそこ長けている。

そういうトレーニングを学校と社会の中でずっと受けてきた。

難しい概念もいっぱい知っている。

ピラミッドの登り方の技もいっぱい身につけた。

でも、僕が生きていくために、一番必要なことは知らなかった。

生活「生きる活動」について。

いったい、どうなってんだ?!!!

そんな人生のエピソードがあった。

そこから、僕は資本主義教と言う宗教で生まれ育ったんじゃないかって思い始めた。

世界で一番信者が多い宗教

キリスト教よりも、イスラム教よりも、サイエンス教よりも、信者の数を保有する、世界最大の宗教

僕は、資本主義教徒として東京で生まれ、資本主義経済で価値ある人間になるための教育を長年受け、消費生活が前提であることも気づかず、人生の目的はキャリアを積んで、いい会社に雇われて(または、経済界のリーダーになって)、環境や人から上手に利益を搾取して、お金持ちになることだと教えられてきた。

大学入るまでの夢が、大きな家を買って、高級車を3台所有することだった。

ただ、年々と資本主義に対する違和感が増していって、大学生ごろ、アメリカが戦争をする中(イラクの油田を確保したり)で、資本主義教の教えを自分の中で正当化することができなくなった。

資本主義教の中で聞く話と、僕が体験している現実のズレが大きすぎて、cognitive dissonance(認知的不協和)が凄まじかった。

信じられないことに自分の人生を合わせるのは、自分の真実を裏切ることになる。

資本主義教徒として、ギフトエコノミーへ

さて、ここからが難しい

資本主義教から簡単に離脱できない。数十年間の洗脳をいきなりアンラーン(学びほどく)する方法を僕は知らない。

一時的に、ギフトの世界に入れても、分離の世界観、資本主義の思想、消費者のあり方はしっかり僕の心に根ざしている。

さらに、資本主義システムは、どんどん新しい「マーケット」を探して、信者と搾取する資本を探し続けている。アマゾンの先住民も、どんどん侵略されている(大豆業界、畜産業界、鉱物業界、麻薬業界、テック業界、炭素業界)。

誰も逃げられはしない。

遺伝子から宇宙まで、新たな市場になっている。

そして、資本主義システムに40年も依存してきたから、それもゆっくりほどいて行くしかない。

そして、資本主義教徒とギフトエコノミーを信じている自分の両方と付き合いながら、矛盾だらけの試行錯誤のプロセスを続けている。

矛盾があってもいい、力まず、ゆっくり統合していこう

僕は、搾取と破壊を知りながらもその世界観に加担し続けたくはない。みんなそうだと思う。簡単にそこが解決できるようだったら、みんなそうしていると思う。

結果も期待しないようにしている

現代の資本主義のように、四半期で結果は出ないから(自然界はそういう時間で動いてない)

これは、少なくとも数百年後に大きな結果が出る感じの活動なんじゃないかな

でも、やればやるだけ、その流れは大きくなり、深くなり、より多くの人が関わっていくと信じている

そういうわけで、肩書きを共生革命家にして、お金のために働くのではなく、命のために奉仕することをやることに決めた。

そして、完璧を目指さず、ゆっくりと離脱の旅を、試行錯誤しながら続けている。

何百、何千年の流れを、一人で数年以内に変えられる感じではない

自分の違和感をしっかり受け止めながら、自分が本当に信じたい世界観を探求し続けて、頭だけではなく、暮らしや日々の言動で体現しようとしてみることで、ちょっとずつ、より美しい世界が自分の身の回りで広がっている。

仲間のチャールズ・アイゼンシュタインの本のタイトルが好き

a more beautiful world our hearts know is possible

僕たちはみんなつながっている

人間同士でつながっているし

全ての生命とつながっている

過去の人々、未来の人々とも、つながっている

共生の世界は一人ではつくれない

I need you

we need each other

名残惜しいかもしれないけど、分離の世界観をちょっとずつ手放して、つながりの世界観(インタービーイング)を一緒に生きてみない

助け合いながら、支え合いながら、報酬や見返りを求めず、恐れからではなく、心のときめきから

moved by love

Kai


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