ラダーシップサークル*でWEALTH(富)をテーマとした週に出た読みものに、ギフトと僕たちが慣れ親しんでいる商品取引の世界の違いを分かりやすく表現していたので、一部(雑に)訳してみた。本の一部から抜かれた記事全体はここ(英語)「イチゴのギフト」。
著者のロビンは、ネイティブアメリカンの生物学者で
ギフトの思想家でもある。
Braiding Sweetgrass by Robin Wall Kimmerer
It’s funny how the nature of an object — let’s say a strawberry or a pair of socks — is so changed by the way it has come into your hands, as a gift or as a commodity. The pair of wool socks that I buy at the store, red and gray striped, are warm and cozy. I might feel grateful for the sheep that made the wool and the worker who ran the knitting machine. I hope so. But I have no inherent obligation to those socks as a commodity, as private property. There is no bond beyond the politely exchanged “thank yous” with the clerk. I have paid for them and our reciprocity ended the minute I handed her the money. The exchange ends once parity has been established, an equal exchange. They become my property. I don’t write a thank-you note to JCPenney.
不思議なことにモノの性質というのは、例えばストロベリーや靴下、私達の手にどのようにきたかによって変わってしまう。ギフトなのか商品なのか。お店で買ったウールの靴下は、赤と灰色のストライプが入っていて暖かく心地が良い。私はウールを作った羊や、編み機を動かした労働者に感謝を感じるかもしれない。でも、私有財産である商品としての靴下にたいする固有の義務はない。店員とは礼儀正しい「ありがとう」を交わす意外の深い繋がりはない。私は支払って、私達の相互関係はお金を渡した瞬間に終わった。交換は等価が確認された時に終わる。対価の交換。それらは私の所有物になる。私は、お店に感謝の手紙を書かない。
But what if those very same socks, red and gray striped, were knitted by any grandmother and given to me as a gift? That changes everything. A gift creates ongoing relationship. I will write a thank-you note. I will take good care of them and if I am a very gracious grandchild I’ll wear them when she visits even if I don’t like them. When its her birthday, I will surely make her a gift in return. As the scholar and writer Lewis Hyde notes, it is the cardinal difference between gift and commodity exchange that a gift establishes a feeling-bond between two people.”
でも、例えばその同じ赤と灰色のストライプのはいった靴下が、私のおばあさんが編ん私にギフトとしてくれたらどうだろう?全てが変わる。ギフトは断続する関係性をつくる。彼女に感謝の手紙を書く。その靴下を大切に使って、親切な孫なら彼女が着た時に履くようにする、たとえその靴下が嫌いでも。彼女の誕生日になったら、かならず彼女にギフトを渡す。学者でありライターであるルイス・ハイドが書いたように、「ギフトと商品取引の根本的な違いは、ギフトは二人の間に気持のつながりを確立する」ということ。
Wild strawberries fit the definition of gift, but grocery store berries do not. It’s the relationship between producer and consumer that changes everything. As a gift-thinker, I would be deeply offended if I saw wild strawberries in the grocery store. I would want to kidnap them all. They were not meant to be sold, only to be given. Hyde reminds us that in a gift economy, one’s freely given gifts cannot be made into someone else’s capital. I can see the headline now: “Woman Arrested for Shoplifting Produce. Strawberry Liberation Front Claims Responsibility.”
野生のストロベリーはギフトの定義に当てはまり、食料品店のベリーは当てはまらない。生産者と消費者の関係性が全てを変えてしまう。ギフトの思想家として、野生のイチゴを食料品店で見かけたら深い怒りを感じるだろう。それらのイチゴを拉致したくなるだろう。彼らは売られてはならない、贈られる存在なのだ。ハイドは私達に思い出させてくれる、ギフトエコノミーではある人の自由に贈られたギフトは、誰かの資本にすることはできない。(新聞の)大見出しが思い浮かぶ、「果物を万引きした女性逮捕。イチゴ解放戦線が犯行声明」。
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That is the fundamental nature of gifts: they move, and their value increases with their passage. The fields made a gift of berries to us and we made a gift of them to our father. The more something is shared, the greater its value becomes. This is hard to grasp for societies steeped in notions of private property, where others are, by definition, excluded from sharing. Practices such as posting land against trespass, for example, are expected and accepted in a property economy but are unacceptable in an economy where land is seen as a gift to all.
ギフトというのは、流れるもので、流れる中で価値が上がる。それがギフトの基本的な性質。野原はベリーというギフトを作ってくださり、私達はそれを使って父親へのギフトをつくった。シェアされればされるほど、その価値が大きくなる。これは、私有財産という考え方に染み込んだ社会には捉えにくいこと、なぜなら他人はシェアリングから除外されることが(私有財産の)定義だから。例えば、土地に不法侵入禁止の看板を置くのは、所有経済では当たり前で受け入れられているが、土地は全ての存在へのギフトとして捉える経済の中では、それは許されない行為である。
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From the viewpoint of a private property economy, the “gift” is deemed to be “free” because we obtain it free of charge, at no cost. But in the gift economy, gifts are not free. The essence of the gift is that it creates a set of relationships. The currency of a gift economy is, at its root, reciprocity. In Western thinking, private land is understood to be a “bundle of rights,” whereas in a gift economy property has a “bundle of responsibilities” attached.
私有財産経済の観点からみると、「ギフト」は無料で手に入れたので「ただ」と見なされてしまう。 しかし、ギフトエコノミーの中ではギフトはただではない。ギフトのエッセンスは関係性をつくること。ギフトエコノミーの通貨は、根底では相互関係なのだ。西洋の考え方だと、私有地は「権利の束」だと理解されている。しかし、ギフトエコノミーでは土地には「責任の束」があると考える。
ーーー引用終りーーー
資本主義の世界観でギフトの世界を捉えようとすると、なかなか上手くいかない。前提が違うから。前提が違うと見えてくる現実も大きく変わってくる。そして、フリー(ただ)とギフトの違いはとても大事なポイント。僕の活動も、お金に換えられるものは多いけど、お金に換えようと思うことはほとんどない。プライスレスだから。でも、ただ(価値のないもの、安いもの)だと思われたくない。値段がつけれるような次元のものではないと信じている。僕の時間、エネルギー、経験、プレゼンス、やさしさ、技術、ネットワーク、在り方。それらをなるべくギフトとして世の中に贈りたい。それが巡っていけば、巡るほど豊かさが増えていくと信じている。そのギフトが巡る世界で僕は活かされていると信じている(たまに忘れるけど)。一緒にその世界を育てていこう!
ーーーお誘いーーー
英語ができる人で、ギフトの世界に関心がある方は、ラダーシップ・サークルへの参加を強く強くオススメしたい。とっても素敵でディープな世界。It is an opportunity not to be missed. Apply here Laddership Circle.
*ラダーシップサークルのホームページより
(安納けん訳)
ラダーシップサークルは、プロジェクトイニシエーターたちが内面的変容から導くことのニュアンスに飛び込み、ギフトエコロジーデザイン思考を学び、プロセスを通じて生まれる可能性のある新しい逸脱パターンを育成するための空間です。
ラダーシップサークルについてServiceSpaceの取り組みに沿って、「ギフトエコロジー」のプロセスに飛び込み、内的変容を起こしながらリードするニュアンスを学び、新しいデザインが生まれるためのスペースをホールドする、プロジェクトイニシアターのためのスペースがオンライン大学とインキュベーターの間のどこかにあります。 伝統的なプロジェクト・インキュベーターは、資金を通じて起業家が持続可能になることを支援しますが、寛大な起業家の考えは自然を通じて持続可能になることです。 より具体的には、寛大な精神を通してです。2014年1月、私たちは8人のラダーサークルサークルでその方向性を実験することに決めました。 6週間の間、私たちは読書、実践、毎週のビデオ会議、内省の共有、プロジェクトデザインの更新に携わりました。 その最初のサークル以来、我々は継続し、いくつかの顕著な波紋が広がりました。 ロサンゼルスでは、Pranidhiはヨガを教えるビジネスを振り返り、ギフトに基づいたヨガスタジオを立ち上げました。 ドバイでは、ナタシャは愛のレンズでビジネスミーティングに参加し、価値のある小売のための道を孵化させ始めました。 フランの平和学習プログラムでは、毎年行われる平和会議において、彼女の生徒たちに「ギフティビスト」の実験に携わるよう励ましました。そしてインドでは、Devenがスタートアップサービスにさらに深く関わりました。それぞれのサークルで人々、プロジェクト、場所の新しい組み合わせが生まれ、私たちはそこで展開する集団的精神を目の当たりにし、継続的により謙虚になり、変容を続けています。 これらのサークルの生い立ちと、その道程で継続して起こる学びについて更にここに情報があります。次のラダーシップサークルに参加するには、下記のボタンをクリックしてアプリケーションを提出してください。 われわれのコーディネーターの1人がすぐに折り返し連絡します。